「ねじまき鳥クロニクル」と「ねじ巻き都市冒険記」

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大長編ドラえもんの藤子・F・不二雄氏の最後の原作作品となった「のび太のねじ巻き都市冒険記」ですが、同時期に村上春樹が発表した小説「ねじまき鳥クロニクル」とあまりによく似た題名だったので、当時すごく気になった記憶があります。「ねじまき」という言葉だけでなく、「クロニクル=年代記、戦記」と「冒険記」というネーミングもぴったり同義語になっているから驚きです。どっちが先かというのはよく分からないのですが、両作品ともちょっと奇妙な題名に即した、神秘的な雰囲気に包まれた作品であることは違いありません。

まず、どちらの作品も、主人公たちの内に秘めた静かな戦いを描いていて、その戦いが外側にいる人たちには全く関知されない、という設定が共通しています。「ねじ巻き都市冒険記」では、太陽系のはずれにある無人の惑星に、のび太たちが自分たちの遊び場としておもちゃの暮らす街を作りますが、そこに紛れ込んだ悪者から街を守るために戦うことになります。このねじ巻き都市は、のび太の部屋とどこでもドアでいつでもつながっているのですが、当然のび太のママたちは、そんな箱庭世界で戦いが繰り広げられていることはつゆとも知りません。

「ねじまき鳥クロニクル」でも、主人公が突然失踪してしまった妻を取り戻すために一人戦いに挑み続けるのですが、その戦いは現実の表層的な世界とは別次元の、深層心理のような世界で進行していて、一見すると毎日井戸の中にこもり続けたり、セラピストのような仕事を請け負って心に悩みを抱える人々を癒やしたりする主人公の行動は、失踪事件解明と何ら接点を持たないように見えます。ところが物語が終盤に進むに従って、これらの行為が全て壮大な善と悪の戦いの軌跡として、根気強く続けられていた営みなのだ、ということが(なんとなく)分かります。

次に「ねじまき」というキーワードについてですが、「ねじ巻き都市冒険記」の中では、おもちゃやぬいぐるみを自由に動けるように、生命を吹き込むドラえもんの道具として「生命のねじ」が登場します。この作品の中では、どうして「生命のねじ」を巻くと生命を吹き込まれるのか、という科学的な説明は一切なく、とにかく生命を与える「からくり」として象徴的に扱われているのですが、人工的なおもちゃばかりが登場するこの作品は、全編にどこか終末的なイメージを感じさせます。

「ねじまき鳥クロニクル」では、主人公が知らない鳥の鳴き声を耳にして、「あれはねじまき鳥だ」と空想したことから始まって、近所に住む女の子が主人公を呼ぶときのニックネームとして定着するのですが、作中で「自分のねじを自分で巻き続ける機械仕掛けの鳥」と説明されています。運命に翻弄される主人公自身の境遇を表現する例えでもあり、同時に物語全体を支配する、どこか「陰謀」的なムードを予感させるキーワードにもなっています。

どららも、作品が発表された90年代当時の世の中を包み込む、「どこかで見えない歯車に操られているのではないか?」という不安感を表現しようとして、同じ「ねじまき」というメタファー(隠喩)に行き着いたのではないか、とそんな気がしてしまいます。オウム事件にしても毒入りカレー事件にしても、私たちのごく身近なところから凶悪な事件につながっていて、そこには常に目に見えない悪意が介在している。

そんな世相の動きを鋭敏に感じ取って描かれたこの2作品ですが、村上春樹にとっては後に続く「アンダーグラウンド」への布石として、その後の方向付けを果たした作品、藤子・F・不二雄にとっては大長編最後の遺作であり、後世へ向けた作者からの遺言とも位置づけられる作品です。いまだテロや戦争、国内外の凶悪事件と不安要素は数多くあるものの、メディア等を通して伝えられるその実態については、2重3重にもフィルターがかけられ、「敵が誰なのか分からない」という判然としない状況ばかりが続きます。こんな時代だからこそ、なお再読の価値がある作品だと言えるのではないでしょうか?

「ねじまき鳥クロニクル」で、「ねじ巻き鳥」が主人公自身を表す記号としても使われていること、「ねじ巻き都市冒険記」では、からくり人形に過ぎないはずのおもちゃたちが、やがて知性を持って、人類の後継者として自立した文明を築いていくこと。この辺りも、象徴的に捉えて考えてみると面白いかもしれません。また、どちらの作品にも、出口の見えない戦いの中にあって、超存在的な「援助者」が出現する展開も一緒ですが、彼らが助言やヒントは与えてくれるものの、決して直接的な解決には手を貸さないという点も意味深なものを感じさせます。

「行く手をはばむ敵の正体は見えないけれど、自分の力でなんとかしなさい」そんなメッセージを感じました。

※私は別の意味で、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」はデビッド・リンチの「ツインピークス」とよく似ていると思っているのですが、それについてはまた別の機会に改めて書いてみたいと思います。

新潮文庫「ねじまき鳥クロニクル・第1部」
新潮文庫「ねじまき鳥クロニクル・第2部」
新潮文庫「ねじまき鳥クロニクル・第3部」

てんとう虫コミック「のび太のねじ巻き都市冒険記」
ビデオ「のび太のねじ巻き都市冒険記」

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コメント(2)

おはようございます。
ねじまき鳥クロニクル、大好きです。
井戸の中で、考えるシーン。
あれは、忘れられないです。
暗闇について書いている所、ツインピークスと似てますね。
マルホランドドライブもですね。
大手をふっていえなかったりしますが、すごく好きな世界観だったりします。

トラえもんは、意外です。
春樹さんは、可愛らしい所あるから、案外、ドラえもんのが先だったりなのかもですね。

picoさん、こんばんは。
「ねじまき鳥」にはもうひとつモデルがあって、Dr.スランプ・アラレちゃんに出てくる背中に大きなぜんまいを付けた鳥です。アラレちゃんのスペシャル版のときに、「あの鳥のぜんまいは誰が巻いているの?」という読者からの質問に答える形で、「自分で自分のぜんまいを巻いて動き続けてるんだよ」と解説していました。
これではまるで夢の「永久機関」じゃないか、というギャグなのですが、よくよく考えてみたら私たち人間の「生命」も、永久機関のねじまき鳥と同じ仕組みを実現しちゃってるんですよね・・。

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多摩川のほとりでのんびり暮らす3人家族の日常と果てなき好奇心を綴ったブログです。

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