大長編ドラえもんは全作品を通して環境問題に対するメッセージ性が強く、初期の作品である「のび太の恐竜」でも恐竜との触れ合いを通じて、自然をありのまま保護することの大切さが伝わってくるし、「のび太の宇宙開拓史」では開発と都市化の功罪といったテーマがそのまんま描かれています。
中でも一番よくあるパターンは、のび太たちの暮らしている世界の身近なところに、海底世界や地底世界、天上世界といった「異世界」への扉が在存して、その異世界の住人たちは人類よりも優れた文明を築き、地球環境を次々に破壊する人類の行動を常に憂いて遠くから秘かに観察している、というものです。繰り返しこの同じ構図が描かれる中で、のび太たちはその都度、人類を代表して「地球をより良い環境にする」と約束させられるのですが、一向に行いを改めない人類に対して、彼らの態度も年々ヒートアップしてきます。
そして、環境問題を全面に押し出した「のび太と雲の王国」になると、雲の上の天上世界に住む天上人たちが、地上世界に大洪水を起こして全てを洗い流してしまうという「ノア計画」を企てるなど、一触即発の段階まで事態は差し迫ります。このドラえもんらしからぬシリアスな緊迫感の中に、作者の熱意と焦燥を感じ取ることができるでしょう。
一方「のび太とアニマル惑星」では、犬や猫から進化して人間以上に優れたエコ社会を築いている動物たちが登場しますが、一見メルヘンチックに見えるこお話が、実は今まで以上にシリアスな問題提起を含んでいます。この作品で悪役として登場する悪魔のような存在「ニムデ」は、隣の星からやって来て平和に暮らす動物たちを脅かすのですが、その正体は戦争と過剰な開発で自分たちの星を破壊し尽くしてしまい、よその星に資源を求めるしかなくなった人間(ニンゲン)の成れの果てだったのです。
設定こそ「別の星のお話」として例え話の体裁をとっていますが、私たちの地球の末来だと言い換えても充分通用するプロットなので、「猿の惑星」と同様人間社会に対する皮肉たっぷりの作品と言えるでしょう。また、のび太たちが冒険を繰り広げている一方で、一見保守的と思われていたのび太のママが、町の裏山の開発計画に直面して環境問題に目覚め、本を読み漁ってのび太たちに説いて聞かせるという下りも珍しく新鮮です。
「のび太と雲の王国」が人類の破滅一歩手前を描いているとしたら、「のび太とアニマル惑星」は確実に破滅以降、文明の主導権を人間以外のものに譲り渡した「ポスト人類」の世界を描いています。「のび太の創世日記」に出てくる昆虫文明や、「のび太のねじまき都市冒険記」に出てくるおもちゃたちの文明も同様です。子供にとっては一環して環境の大切さを教えてくれる良き教科書としての大長編ドラえもんですが、私たち大人は初期の「警鐘」から「諦観」とも言えるスタイルヘ変容を遂げてしまった、作者からの辛辣なメッセージを重く受け止めるべきでしょう。「アニマル惑星」で犬のおまわりさんが街を闊歩するのどかな風景は、同時に私たち人類が絶対に回避しなければならない「終末世界」のイメージでもあるのです。
風のまにまに号




大長編ドラえもん、読んでました。懐かしいです。
このカテゴリを見ると、大長編のテーマに一貫した思いが込められてるということがよく分かりますね。
普通のドラえもんだと、のび太とドラえもんと周辺の世界で終わっちゃうのに、大長編になった途端に世界観が広がりを見せて、ワクワクしてしまいます。
毎回登場する準主役級(ロップル君とか)には、みんなどこかにのび太的な要素があって、「のび太の鏡」みたいな存在に思えてしまうんですが(ドラのかわりにペットをつれてたり・・・)、それがのび太と出会う事で、相乗効果というか、広がりが生まれるのかな、と思いました。
nanoさん、コメントありがとうございます。
ロップル君たちが「のび太の鏡」という解釈、面白いですね。確かにのび太たちと等身大の「お友だち」を用意することで、もうひとつの「異世界」に対して親近感を感じられるようにしているのかもしれません。彼らが頑張ってるから、自分たちも頑張ろう、という感じで・・。