子供の頃に読んで記憶に残ったお気に入りの絵本や児童書を、思い出しながらレビューしていく「思い出し絵本」の第一弾です。今回は「ラン」という名前の猫にまつわる、ちょっぴり悲しくせつないお話、「ねこはしる」という本を紹介します。
ランは走ることだけが取り柄のおちこぼれ猫。森の猫コミュニティの中でも、皆と同じように「魚を採る技術」を磨くことに興味を持たないので、常に仲間はずれです。森の池にいる魚はほとんど採り尽くされ、とうとう最後の一匹となってしまうのですが、この魚がすばしっこくてなかなか捕まりません。ある日、心の優しいランはこの魚と友達になってしまいます。無二の親友となったランと魚は、他の猫たちに隠れて毎日のように語らいますが、やがて猫たちがこの最後の魚を巡って「魚採り競争」をすることが決まってしまいます。
大切な親友との別れを覚悟したランは、魚に向かってこう言うのでした。「あなたを他の誰にも食べられたくないから、ぼくがあなたを食べます。」「それなら私も容赦はしない。全力で逃げるから捕まえてごらん。」果たしてランは魚採り競争に勝ち抜くことができるのでしょうか?そしてランと魚に訪れる結末は・・?
・・と、そんなストーリーの絵本だったのですが、一番私の印象に残ったのは「ラン=run(走る) 」という名前そのものです。飛んだり跳ねたりが得意ではないランの唯一の取り柄は「走る」こと。他の誰も捕まえることのできなかった、すばしっこい魚を採るに当たって、丸い池の回りを超高速で走り始めます。ビュンビュンとすごい勢いでつむじ風を起こしたランの走りは、やがて池の水を一点に集めて、魚と共に宙に舞上げてしまいます。そこで池から飛び出した魚を、いとも簡単にパクッと食べてしまうと、愛する者と「一つ」になったランは皆に背を向けて、どこへともなく走り去ってしまうのでした。
ランと魚が選んだ「愛の形」というのも、幼い私にとっては充分衝撃的な、悲しいお話でしたが、英語もろくに知らない子供だった私には、ランと言えば花の名前しか思いつかず、「ランって走るって意味なんだ~」と知ったときには、なんとも素敵な名前だなぁ、と記憶に残ったのでした。
さて、今回この思い出の絵本を、記憶を頼りに必死に検索して、ようやくタイトルが「ねこはしる」だということが分かったので、思い切ってAmazonで現物を買ってみました。作者の工藤直子さんは、この手の児童書や詩集のジャンルでは有名な人らしく、他の著作の方をご存知の方も多いかもしれません。今回手に入れた「ねこはしる」の本も、コンパクトな装丁の中に、表紙や挿し絵に素敵なイラストが織り込まれていて、児童書というより詩集のような感じで女性の方におすすめの一冊かな、という気がしました。
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ところが、実際に読めば読むほど私の心には「何かが違う」という違和感のようなものを感じざるを得ません。私が読んだ「ねこはしる」はもっと大版の絵本のような体裁だったと思うし、猫そのものや池の様子を表す写実的なイラストがなかったら、幼い頃の私に明確なイメージを与えられなかったと思うのですが、この本に描かれている挿し絵はどれもごく抽象的な素描に留まっています。
それ以上に違うのは、本文自体の構成で、私の記憶に残っているのは、先に書いたようなランと魚をめぐる単純なエピソードだけだったのですが、この本ではランのことを気づかうお母さんから始まって、その場に居合わせた蟻や蛙、大地や風や太陽といった無数の傍観者たちが、変わる変わるランたちの様子を一人称で語り出す、という構成になっています。
それはそれで詩的で面白いし、セリフや配役のバリエーションが多いため、演劇の台本などに使われたりもしてるらしいのですが、やっぱり私が子供の頃に読んだ絵本とはどこか違う気がします。私が読んだはずの「絵本バージョン」とこの本と2パターン存在するのか、単に私の記憶違いなのかは現時点ではよく分かりませんが、どちらにしても今回紹介した本がおすすめなのは間違いありません。ちょっぴりせつない気分に浸りたい方、猫好きの方はぜひ読んでみてください。贈り物にもぴったりだと思います。
個人的には、魚を採る技術(=現実的な生計を立てる手段)に興味がなく、ただ走ることだけが大好きなランの姿が、「飛ぶ」ことだけを追求していた「かもめのジョナサン」に通じるところがあるような気がします。どちらも純粋が故に、どこまでも高みに飛翔することができた、孤独な者たちの物語だと思いました。
風のまにまに号

こんにちは。
私が『ねこはしる』と出会ったのは、演劇の台本としてでした。
確かに、ねこはしるには2つのパターンがあります。
ラン、ランの母さん、魚。この三人で繰り広げられる元祖『猫、走る』。この時はまだタイトルが漢字表記でしたし、ほんのサイズも大判で全ページカラーの絵本でした。
そしてその後、作者の工藤直子さんがどんな意思で書き直されたのかは知りませんが、野原の住人たちが増えた『ねこはしる』が生み出されました。これではランが住む野原の世界が展開され、より自分の想像を働かせることができるとおもいます。
最初の絵本と違うところといえば、工藤さんの分身であるかのような生き物たち。その一つ一つが語るランと魚の日々。何より「食べられhなら、ラン。君に食べられたいんだ」と、自らランと一つになりたいということを話す魚の言葉が印象的です。そして食べられる時、初めてランと魚は水中と地上の壁を越えてふれあうことができるのです。
私はこの作品を演じる側として読んでいます。
すると、一人一人がランと魚をどう見守っていたのか、どんな関係だったのか。少しずつ少しずつ『ねこ』の野原が見えてくるような気がしています。ぜひ、自分の野原を作り上げてみてください。