山月記

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book_sangetuki.jpg先週J-WAVEのサントリー「ZERO-HOUR」という番組で中島敦の短編集の朗読をやっていました。第1回目の「山月記」は教科書に載っていることでも有名なおなじみの作品ですが、細かい部分は結構忘れていたので、聞きながら「こんな話だっけ?」と思い出して楽しめました。
出だしから中国奥地の竹林に分け入って、そこで虎が出てくるという展開で「どこかで聞いたような話だな~」とは思ったのですが、ここで水滸伝のように素手で虎と戦うのか、一休さんのように虎を屏風の中に捕らえるのか(実際には一休さんは捕らえたりしませんが・・)、色々なパターンを想像しながらワクワクしてしまったのですが、いずれにしても「竹林に虎」というシチュエーションが最高ですよね・・。

ところがその後、虎が人間の言葉をしゃべり出した下りで「ああ、人間が虎になる話か」と、ようやく思い当たりました。元官僚であった李徴が、かつての同僚を食べようとしてしまったことに気づいて呟くシーンなのですが、この「危ないところだった・・」というセリフが情感が込もっていていいですね・・。その後の、月夜の下で虎と語り合う光景も、想像してみるとなんだか素敵です。
ところでこのお話、今一度聞いてみると現代人の悩みにも通じる奥の深いお話だなぁ、と思いました。頭がよくて仕事が出来るだけに「点取り競争」のようなお役所の世界に嫌気が差してしまい、山林に隠ってただ詩句を詠んで暮らしたい、と願えども生計を立てるためにはそれも叶わず、ついには発狂して「虎」になってしまったと・・。大昔の中国のお役人と言ったらものすごいエリートの世界だと思いますが、現代の日本でも若い人はもとより中年男性の仕事上のストレスによる自殺が後を立たない、という話ですから李徴さんの気持ちも他人事ではありませんよね・・。
Yahoo!ニュース「<労災申請>仕事ストレスによる精神障害で過去最高に」

煩わしい人間社会の雑事から解放されたものの、野生に帰ってしまったら食べたくもないウサギや人間の肉を食べなくてはいられなくなる、という悲しいサガを背負ってしまいます。獣に変身してしまって、肉を食べずにいられないという設定は、ちょっと前に読んだ手塚治虫の「きりひと讃歌」とよく似ているなぁ、と思いましたが、そうなってしまった時にギリギリの所で自分を取り戻せるどうかは、山月記の中でも示唆されているようにその人の持っている「愛」とか「美意識」にかかっているのではないでしょうか?
山月記で虎になった李徴は、最後の願いと言って自分の作った詩句を後世に残すことを同僚に頼みますが、その後になって「本来であれば、残してきた家族のことを第一に心配するべきであった」と私欲を優先してしまった自分の姿を悔やみます。今回このお話を聞いて一番のポイントだと思ったのはこの部分でした。でもこのお話、シンプルであるがゆえに捉え方次第で他にも色々な解釈ができるし、読むときどきによって感じ方も変わってくるんだろうな~、と思いました。

今週の「ZERO-HOUR」は中嶋朋子さんの朗読で「食べる女」という本を朗読するそうです。こちらもちょっと気になりますね・・。

「ちくま日本文学全集 中島敦」筑摩書房
J-WAVE「SUNTORY ZERO-HOUR」

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コメント(3)

「山月記」懐かしいです。
初読のときは李徴はなんて自己中なやつだと思ったりもしましたが、たまに読み返すとその度に李徴の葛藤が身にしみてくる不思議な本でした。

*「竹林に虎」のテキストにかかってる強調タグがちょっと違うみたいです;

nanoさん、strongタグの方は早速修正しておきました!ご指摘ありがとうございます。
なにしろリニューアル後に新しく導入したMT3.0の方にはDreamweaver風編集ボタンをまだ入れていないので、いつもと勝手が違うんですよね・・。

ケロログのBlog表現よみ作品集で「山月記」のよみを公開しています。トラックバックさせていただきました。ぜひ一度お聴きください。李徴の嘆きの中の苦笑などを表現しました。

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多摩川のほとりでのんびり暮らす3人家族の日常と果てなき好奇心を綴ったブログです。

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