幼い頃の記憶を頼りにレビューする「思い出し絵本」シリーズの3冊目。「ハリーポッター」や「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」もいいけれど、私にとって楽しいファンタジーの原点と言ったら、この「ホッツェンプロッツ」ははずせません。町中に使命手配されている天下の大どろぼう・ホッツェンプロッツ。ある日、カスパール少年は、ホッツェンプロッツに盗まれたおばさんの「コーヒー挽き」を取り戻そうと、親友のゼッペルと一緒に冒険の旅に繰り出します。森の奥深くでホッツェンプロッツのアジトを突き止めたものの、逆に捕まって2人は離れ離れにされてしまいます・・。泥棒との知恵比べから始まって、恐ろしい魔法使いが出てきたり、カエルに変えられた妖精が出てきたりと、読み進むほどに話のスケールが広がっていくのが魅力です。いくつになっても惹き込まれること間違いなしの傑作シリーズですね。
カスパールが深い森の奥地から、恐ろしい魔法使いの居城へ閉じ込められてしまうくだりは本当にドキドキするし、その魔法使いの裏をかいて帰死回生で出し抜く場面は気分爽快・・、そしてカエルに変えられていた妖精アマリリスがかわいい女の子の姿に戻ったときには子供心に本気で胸ときめいたものです。
シリーズ2作目の「大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる」ではさらに強力な力を秘めた千里眼の占い師が登場するし、3作目の「大どろぼうホッツェンプロッツ三たびあらわる」ではなんと長年渡り合ってきたホッツェンプロッツが改心し、無実の罪で追われる彼を助けるためにカスパールたちが一致団結して奔走します。お話のスケールはどんどんパワーアップするし、「三つ巴」や「昨日の敵は今日の友」といった人間関係の移り変わりが分かりやすく描かれていて、読後も爽やかです。
一方、大人になった今になって読み返してみると、楽しいだけでなく色々と考えさせるところが多々あります。何でもできる魔法使いが出てきてしまったら、ただの泥棒なんて出る幕がないんじゃないか?と子供心に思ってしまうのですが、実際には大魔法使い・ツワッケルマンとホッツェンプロッツはフィフティ・フィフティの関係で互いの要求を満たし合っています。世の中、どんな力や権力を手に入れても、常に自分の変わりに手を汚して、現場で動いてくれる人間が必要ということなのでしょう。
それに、ツワッケルマンはどんなに強大な魔法が使えても、「じゃがいもの皮を剥く魔法」だけは編み出すことができなかったという理由で召使いを欲しがっていたし、大どろぼうであるはずのホッツェンプロッツが、実際に盗んだのは「回すと懐かしいメロディが流れるコーヒー挽き」というかわいい珍品です。これらのエピソードは、単純に微笑ましい笑いを誘いますが、大の大人になっても真に大切なもの、真に人が欲するものは、ほんの取るに足らない「くだらない」日常の中にあるんだよ、という人生の真理を教えてくれています。
思えば、「どろぼう」というのは子供たちにとって一番身近な非日常の象徴であり、一番身近なカタギではないアウトローな大人の象徴です。日常から逸脱したところに魅惑の匂いを感じさせつつも、泥棒には泥棒の事情があるんだよ、といったところを垣間見せてくれる上質な大人への入門小説だったのかもしれません。(トム・ソーヤにおけるインジャン・ジョーの役割がそうであったように)
実際にシリーズを通して読んでみると、ずる賢いのにどこか憎めず、これだけ男らしくて人間くさい泥棒は他にいない、と誰しも思うはず・・。今こそホッツェンプロッツを読んで、「ワルな大人」のあり方を学ぶべき時代なのではないでしょうか?
風のまにまに号

うわー、これ懐かしいです!
ホッツェンプロッツ・・・ややこしい名前なのに絶対忘れませんね。
しかしツワッケルマンのことはすっかり忘れてました。
ジャガイモの皮を剥く魔法!そんなのもありましたねえ。
3作目ではホッツェンプロッツが改心しちゃうんですね!
読んでみたくなりましたv
HNを変更したのでお知らせします!!
これからはピッピ改め「ねむ」でございます~。
harukaさんにもどうぞ宜しくです♪
ねむさん、こんにちは。(まだちょっと慣れないですね。。)
「ホッツェンプロッツ」という名前は不思議と一度聞いたら忘れないですよね・・。調べてみたら、このシリーズは本国のドイツでは定番の子供向け文学らしいのですが、作中でも主人公のカスパーたちが「ツワッケルマン」の名前がうまく覚えられなくて、毎回(わざと)変な間違え方をする、というギャグシーンが出てきます。ドイツの子供にとっても、やっぱりこの手の名前って難しいんでしょうかね・・?