先日ゴールデングローブ賞の外国語映画賞を受賞したことでも話題の「硫黄島からの手紙」を見てきました。太平洋のはるか彼方にぽっかりと浮かぶ荒涼とした孤島・硫黄島。戦略上の重要拠点であるこの島で、こんなに激しい戦闘が行われていたこと自体よく知らなかったのですが、圧倒的な映像力と、あくまで淡々としたリアルな描写から、戦場の極限状態が十分に伝わってきます。海を埋め尽くすアメリカ艦隊来襲のシーンはトロイさながらだったし、全編モノクロ調の色彩を使っていることが功を奏して、夜の白兵戦もくっきりとクリアに見え、まるで時代劇の立ち合いを見ているような不思議な迫力でした。渡辺謙の味のある演技も最高によかったのですが、この映画の中で誰よりも主役級の存在感を放っていたのは一兵卒を演じた二宮和也です。司令部で独り奮闘する渡辺謙とは対照的に、常に前線で危機また危機の連続に見舞われる二宮君の存在は、私たち観客を地獄の底まで付き合わせてくれる、キュートな水先案内人に他ならないのです。
ときに米軍の集中砲火に遭い、ときに独走した上官に命を狙われたりしながら、必死で生き延びようと逃げ惑う二宮君の地獄めぐりは、「戦場のピアニスト」にも匹敵するすさまじさ・・。次々に絶体絶命の危機が降りかかる中、一体どこまで生き残るのか??というドキドキ感がふくらみ、まるで「タイタニック」のようなサバイバル・エンターテイメントとしての側面も持ち合わせています。こういった、あくまで底辺にこだわった視点があるからこそ、かつてない臨場感が生まれているのだと思います。
さて、全体としては日本人が見ても違和感なく楽しめ、見応えたっぷりの良作だったと思うので、あえて辛辣なことは書きたくないのですが、これがクリント・イーストウッドとスピルバーグ製作のハリウッド超大作だということを考えれば、世界の人々に与える影響力は計り知れません・・。なので、ここで少しこの映画の持つメッセージ性について突っ込んで考えてみたいと思います。
絶対不利な状況にあって、日本軍を奇跡の大健闘に導いたのは、玉砕といった古い思想を捨て、あくまで合理的に戦術を組み立てた栗林中尉(渡辺謙)の活躍によるものです。ともすれば親米派と揶揄されかねない彼の行動の源流は、渡米経験で培ったアメリカナイズされた思考法によるものでした。常に柔軟な対応で兵士たちを励まし、最後まで人間らしく戦いぬいたバロン西(伊原剛志)も、渡米経験がある点で共通しています。栗林中尉はことあるごとに幸福な渡米時代のことばかり思い出しているし、バロン西もアメリカ人に友人がいる、アメリカの友という点ばかりがクローズアップされています。
これでは極端な話、この主役2人は米国人そのものと言ってもよく、ケヴィン・コスナーやトム・クルーズ辺りが代わりに演じていても良かったかもしれません。親米派という以外の人間性を、もっと深く掘り下げる必要があったのではないでしょうか?混乱する戦況の中で、バロン西が最後に叫んだ『自分の信じる正義こそが真の正義だ』というメッセージも、まるで自由大国アメリカのスローガンという風にしか聞こえません。
親米派か、狂信的な国粋主義者か、という単純な二項対立にあって、唯一の救いとなっているのが道化役の西郷一等兵(二宮和也)の存在です。彼は自分から全てを奪い取った軍隊を恨んでおり、戦争そのものも馬鹿馬鹿しいと思っているニヒルな傍観者です。何の熱情もなく、ただ流されるままに戦場に放り込まれた彼が、最後の最後に一度だけ感情を爆発させるシーン・・。ここに何を読み取るかによって、この映画の評価が分かれてくるのかもしれませんね。
・・・というわけで、何やら批判めいたことを色々書いてしまいましたが、これだけよくできた映画を見せられると、もう一方の「父親たちの星条旗」の方も見たくてたまらなくなってしまいます。これだけの規模で、パラレル・ムービーというアイデアも前代未聞だと思うので、機会があれば上映してるうちにぜひ映画館に足を運びたいと思います。さて、アカデミー賞の方はどうなるのでしょうか・・?
<関連ページ>
・硫黄島の戦い - Wikipedia
・硫黄島についての素朴な疑問と答え - eiga.com
風のまにまに号

27日の夜、夫と2人で観て来ました。戦争の映画は久しぶりでところどころ目を隠して観て来ました。兵士はお国のために死を選ばざるえなかった状況の中で、西郷君のような人は実際はいなかったのではないでしょうか?
戦争は絶対やってはいけないと思いました。
先日 山形まで行き「めぐみ」の映画を観て来ました。これもおもい映画でした。「幸せのちから」もみたいですね.雪が降らないので、出かけられて良いですね。