高津発SFミステリの名作「クラインの壷」

| コメント(0)

クラインの壷 (新潮文庫)田園都市線・高津駅前にある書店「住吉書房」は、夜遅くまで開いていて便利なので、よく帰宅途中に立ち寄るのですが、この書店には新刊でもないのにいつも常設コーナーに平積みされている店主イチオシの本があります。「当店発!!大ブレイク!!」とPOPに書かれたその本は、岡嶋二人の「クラインの壷」です。本当に当店発でブレイクしたのかどうかは今となっては窺い知る術がありませんが、確かに溝の口や田園都市線沿線を舞台としたこの作品は、近隣に住む者として是非ともチェックしたい衝動に駆られます。そんなわけで、前々から気になっていたこの「クラインの壷」をようやく手に取って読んでみたのですが、読み始めると思わせぶりな出だしからグイグイ引き込まれ、続きが気になるので止められず一気に読み終えてしまいました。最新鋭のバーチャルリアリティ装置を題材にした緻密なSF描写、溝の口や二子玉川を舞台に繰り広げられる淡い恋愛模様、そして組織の陰謀に次々と迫っていく緊張感溢れるサスペンス・シーン・・。と、どこを取っても面白いこの作品なのですが、やはり一番すごいのは書店のPOPにも書かれている通り、圧倒的なラストと『後味の悪い読了感』ではないでしょうか?もちろん、こうした結末には好みの別れるところかもしれませんが、読者は最後まで読んではじめてクラインの壷というタイトルの持つ本当の意味にハッと気づかされるのかもしれません・・。

SN382076SN382077

<あらすじ>
自分の書いた作品が、開発中の新型ゲーム機「クライン2」の原作に使われることになった青年・上杉彰彦は、溝の口に事務所を構えるイプシロン・プロジェクトという会社と契約を交わしてゲーム開発に関わることになります。現実と区別のつかない仮想現実を生み出す「クライン2」にテスターとして乗り込むことになった上杉は、ある事件をきっかけに秘密だらけのイプシロン・プロジェクトに不審を抱き、独自に調査に乗り出します。しかし、真相を追ううちに現実とゲームの中の仮想現実の区別がつかなくなってしまい、ますます混迷した状況に足を踏み入れることに・・。

溝の口・高津周辺には、かながわサイエンスパークがあったり、日本有数の技術力を持った中小企業や工場が集まる科学の町としても知られています。なので、極秘プロジェクトを抱える秘密の研究所が溝の口にあるという設定は妙にリアリティがあるし、二子玉の河原でマックのハンバーガーを食べるのが主人公のお決まりのデートコースだったりする設定など、田園エリアの土地に詳しい人が読んだら思わずニヤリとさせられるシーンが満載です。

現実なのか作り物なのか区別がつかないシュミレーション装置「クライン2」は、確かに裏と表が区別できない「クラインの壷」に例えられますが、それだけでは今一つ例えとして弱い印象があります。クラインの壷の真の特徴は、裏と表がつながって無限に繰り返してしまうところ・・。物語が進むにつれて現実と仮想現実の区別ができなくなってしまう主人公の心理状況や、読んでいる読者自身さえどちらが現実なのか迷い、混乱させてしまう本書の巧みな構成自体が、無限に繰り返す「クラインの壷」に他ならないのではないでしょうか?

そんな作者の陰謀に振り回されてただ陶酔するもよし、冷静に読み解いて独自の解釈を打ち立てるもよし、色んな楽しみ方ができるのが名作と言われるゆえんだと思います。ただ読者を混乱の中に投げ出すだけでなく、推理できるところは極めて明確にヒントを残し、推理の過程を積み上げているので、ミステリとしての醍醐味も忘れてはいません。結果的に見ると、自らが書いた作中作「ブレイン・シンドローム」のように、スパイ・アクション的な世界に足を踏み入れてしまっている主人公の姿が滑稽といえば滑稽ですね・・。

現実と仮想現実の2つの世界を「クラインの壷」になぞらえて『表』と『裏』と例えているこの作品ですが、もう一つ特徴的なのが物語を彩る表裏一体の2人の女性の存在です。性格が対照的な梨沙七美という2人の女の子は、いずれも主人公と行動を共にし、やがて恋愛関係に発展するのですが、彼女たち2人こそが『表』と『裏』それぞれの世界を代表するマスコット・ガールともいえる存在なのです。どちらか一方が裏=仮想現実だとしたら、その世界の恋人は幻の女ということになってしまう所が、主人公にとっては悩みの種ですが、そんな2人の間で迷い惑わされてしまうことこそ、この物語の真の主題なのかもしれません。

(テクノロジーの差こそあれ)使われているトリックといい、甘酸っぱい青春小説的な要素といい、元住吉界隈の地域に密着した島田荘司の「異邦の騎士」と似ている点が結構あるなぁと思ったのですが、落としどころはまさに千差万別・・。読んで決して損はしない一冊なので、高津界隈または田園都市線沿線にお住まいの方も、そうでない方もぜひ読んでみてはいかがでしょうか?ご購入の際は、ぜひ住吉書房・高津店で買っていただけると地域活性、店主にも大変喜んでいただけるかと思います。小説を、その舞台となった発祥の地に赴いて買うのも乙というものですよね・・。

コメントする

このサイトについて

多摩川のほとりでのんびり暮らす3人家族の日常と果てなき好奇心を綴ったブログです。

最近のコメント

バックナンバー