
遅ればせながら、川崎のIMAXシアターで話題の「アバター」
を観てきました。ネットでの評判通り、専用スクリーンで観る3D映像の迫力はすさまじく、どっぷりと3Dの世界を堪能できました。むやみに「鼻先に飛び出してくる」といった旧来の3D映画にありがちな手法を取らなかったのは、ジェームズ・キャメロン監督が冒頭でメッセージとして語っている通り、本当に観客を「パンドラ」という星に連れて行きたかったからでしょう。数メートル先に実際に人が「いる」かのような自然なリアリティを終始徹底しているのです。そういった映像的な面以上に私が衝撃を受けたのは、ストーリーに込められたメッセージ性の深さ・・。一見、自然への回帰を謳っているようでいて、ネットやゲームに順応する新しい世代の人類のあり方を比喩的に描いているように感じたのです。そんなテーマの先進性という意味においても、「アバター」は21世紀にエポック的な作品だと思いました。
<あらすじ> 元海兵隊員のジェイクは、遥か彼方の衛星パンドラで実行される"アバター・プログラム"への参加を要請された。パンドラの住人と人間の遺伝子から造られた肉体に意識を送り込むことで、息をのむほどに美しいその星に入り込むことができるのだ。そこで様ざまな発見と思いがけない愛を経験した彼は、やがて一つの文明を救うための戦いに身を投じていく...。(goo 映画より)
パンドラの先住民ナヴィは、命を大切にし、動物や自然と共に暮らす種族。その風貌や習俗は、あたかもネイティブ・アメリカンを彷彿させますが、単に自然と調和するというだけでなく、髪の毛の先端から伸びる触手を使って、馬や動物、植物などと『神経』レベルで接続することができます。そして、彼らが神と崇める存在「エイワ」とは、森の樹々の内部をめぐり、先祖代々から保存されてきた『情報』のデータベースだというのです。
まさにインターネットのような『森の叡智』とつながり、自然界の様々な『ツール』を使いこなして生きるナヴィたちの姿は、私にはWikiperiaやツイッターを操るネット世代の人々のライフスタイルと重なって映ったのです。彼らの居住地の地下に眠る貴重な資源が欲しい地球人は、様々な条件を差し出して取引をしようと試みますが、ナヴィたちにとって大事なのは先祖から受け継がれた『情報』であって、決してカネやモノにはなびきません。
そんなところも引っくるめて、ネット中心の若い世代の価値観を代弁していると思いませんか?「アバター」に搭乗する先住民ナヴィは、ネイティブはネイティブでも、ネイティブ・アメリカンならぬデジタル・ネイティブたちを描いた映画ではないかと思うのです。そして、そんな彼らの世界に借り物の肉体で潜入する主人公ジェイクも、同じくデジタル・ネイティブ世代の象徴です。
海兵隊出身のジェイクは、「頭が空っぽ」だからこそ色々なことを吸収し、異文化であるナヴィの生活に順応することができると言います。その言葉通り、ジェイクは次々にナヴィのハンターとしての試練を克服し、やがて部族の一員として発言権を得るにまで至りますが、与えられた課題をクリアすることに優れた能力を発揮するジェイクは、いわばゲームの達人と言えそうです。誰よりも勇気を示せば、例えよそ者であろうとも神のように扱われるナヴィ社会ですが、ジェイク自身は「アバター」を通してプレイしているため、実際には命を懸けていないことにも注目してください。
そんなナヴィ=ジェイクといったデジタル・ネイティブ世代とは対照的に描かれるのが、パンドラでの資源採掘に携わるRDA社の責任者パーカーと、傭兵部隊を率いるマイルズ大佐です。パーカーは会社の利益のことしか考えておらず、大佐はパンドラを力ずくで武力制圧することしか頭にありません。実社会に例えれば、ネットやゲームで育った今時の世代の若者が会社に入社してはじめて遭遇する、昔ながらの価値観を持った社長や上司と捉えればいいでしょう。
カネやモノといった目に見える成果しか相手にしない古い世代の大人達には、デジタルなものに価値を置き、ネットワーク的な「つながり」を重視する若者の言うことは、言葉通り『見えない』のです。ナヴィの生き方に同調するジェイクは、やがて大佐たちと対立し、全面衝突することになりますが、これはデジタル・ネイティブ世代の若者と古い世代の大人との世代闘争を表しているのではないでしょうか?
問答無用で権力をふりかざす大人には一人ではかないませんが、ネットを通じて加速度的に増殖する「絆」は、やがてカネや権力を凌駕してしまいます。ここで面白いのが、堅物の上司である大佐・・。この大佐がなかなかにしぶとく、最後までエンターテイメントとして楽しませてくれるのですが、この大佐がお気に入りのモビルスーツみたいなロボット兵器、どこかで目にした記憶はないでしょうか?
なんと、かつてジェームズ・キャメロンが監督した「エイリアン2」でシガニー・ウィーバーが乗り回していたパワード・スーツにそっくりなのです!あの当時は宿敵エイリアンを殲滅するためにヒロインが乗っていたスーツに、今度は敵となる大佐が乗っているというこの対比・・。「アバター」の中で原住民ナヴィたちのことをエイリアンと呼んでいるのも、(同じくシガニー・ウィーバーが重要な役を演じているのも)おそらく偶然ではないでしょう。「エイリアン2」では外からやってくる未知なる敵と人類が戦う話でしたが、「アバター」では本当の敵は自分たち人類の中にいると言っているのです。
ジェームズ・キャメロン監督がこの映画を通して言いたかったのは、これからの時代に人類が生き残る(アセンションする)には、お互いを理解し「絆」を深めるネットワークが必要なのだ、というメッセージだったのかもしれません。ストーリーとは直接関係ありませんが、ナヴィたちが神と崇める集合意識「エイワ」が、日本語での音を取ると英和(=英知と調和)のように聞こえるのは、私だけでしょうか?ここにも、 思わず何か示唆的な響きを感じてしまいました。
風のまにまに号

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